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62 《心灵驿站》的翻訳

 2008 01 29 E-Y

 年越しの時、お婆さんは私たちの家へ来た。あれこれ品物を見ていつもいぶかる。なぜなら中国人である私がお婆さんより年越しのことをしっかりやるからだ。

 私はいつもきちんと年越しの行事をする。
 元旦以外に一月七日の七草粥を作り、二月の豆まきの豆を買い、三月には桃の花を買う。
八月、日本に居れば子供を連れていろいろな夏祭りに参加する。たとえば中国に居たならお盆に間に合うように墓参りをする。日本の新年を迎えるとき、私はきちんと花を買い、玄関飾りを買う。好きでもない蕎麦を買い、普通の人が新年に向けて準備する品物を買う。

 日本の祝日ばかりか中国の祝日が来るごとにひととおり用意し、祝日の雰囲気を作り出す。
端午の節句の粽を食べ、中秋の月餅を食べ、春節のふるさとの料理を食べる。
それぞれの祝日に新鮮な花を買い、食卓を飾る。そして遠方の父母に電話をかける。
 
 どうしてこのように生真面目に祝日を過ごすのか?具体的な答えは無い。だが誰かの影響を受けているとしたら、それは祖母と父母に違いない。

 小さい頃、兄弟姉妹が多く、暮らしは貧しかった。だが祖母と父母はきちんとそれぞれの祝日の行事を行った。
 どんな祝日も子供たちにその土地の風習の菓子などを食べさせてくれた。たとえ一人分がどんなに少ないとしても。
 新年が来たとき、たとえ手元にお金がなくても子供たちに新しい衣服を用意し、大晦日にはおいしい料理を用意し、爆竹を買い、門には聯上を貼り、父母はどんな小さな手抜きも許さない。

 実家では、大晦日の料理は一年中で一番豪華だ。だが夕食の前、実家では必ず先祖の墓で紙のお金を燃やす。小さい頃、父は私達を、それも毎回、遠くの山の中にある墓に墓参りに連れて行った。
 私達はそのお墓の人の記憶はすでにない。
 だが、父はそのたび言った。
 「おじさんにお金を供えなさい。彼は私の友人だ。」
 年を繰り返し、私はわかった。父は、表面は大雑把な人間だが,内心は友情に厚い人だと。
その友人は父にとっては、きっと特別な人だったのだ。

 今でも春節を迎えるとき、干した野菜で敷居をこする場面を覚えている。磨くと運気が良くなり、来年、雌鳥は早く卵を孵すことが出来ると言われる。

 旧暦の一月一日に、父は朝早く家族の前で手を洗い、香を上げ先祖に手を合わせる。そのあと土地の神様に香を上げ、やっと家に戻り新年のご飯を食べる。
 それらの場面は、毎年繰り返し、子供たちの頭に深く刻まれる。
 子供たちが成人し、自分たちの家庭を持ったあとこのような情景はそれぞれの家庭に伝えられる。
 毎年春節が来たとき、子供たちは自然に父母を思い出し、小さい頃のこれらの行事を思い出す。
 どんな所にいようとも、このようなことは人々に懐かしい祝日の気分を抱かせる。そしてそれは心にいつも残り、年月さえも消し去ることは出来ない。

 小さい頃のそれぞれの祝日には必ず決まって食べるお菓子があり、また心をこめて作った料理がある。
 それに母はいつもひとつの言葉を口にした。
 「今は祝日、でたらめな話をしてはいけない。」
 不吉な話をやたらにしたら神様に叱られるということだ。
 しかも私達はいままでこの一日は母の意思に決して背くことは無く、競って良い子になった。
 それぞれの祝日、家の中は祝いの気分にあふれ、人々は喜びに浸る。

 私は、年長者達は、年越しにこのようなよろこびの雰囲気を愛することこそ、祝日を過ごすということなのかと考える。
 祝日を過ごすことはあんなにも煩わしく、疲れる。
 だが、人々の顔は微笑みあふれ、生活の中に今まで心配事が無かったかのようだ。
 祝日を祝うとき、皆はお互いに礼儀正しく話し、祝福し、日常の恨みを忘れ、悩みを捨てる。
自分自身の心が安らぐ機会を与えてくれる。

 私は祝日のたびに思う。
 祝日は年月が私たちに与えてくれた貴重な贈り物だ。
 生きている家族や親友と集まり、すでにこの世を去った親戚、友人達を懐かしむ。希望を抱いて未来の月日を迎え、そして幸せでめでたい気分の中に、穏やかに自分の過去を反省する。

 私はいつもそれぞれの祝日に思う。それらすべては人生の節目、そして一人の人間の心の拠り所でもある。
by tianshu | 2008-01-30 12:58 | どこでもお勉強
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